村上春樹「便宜的なぼく」について

村上春樹の文章から導かれることと、自分の生活のつながりを書いてます

ライフコースの社会学

社会学の研究では、鳥取県の若者たちを対象に取材した
『学歴社会のローカルトラック』や
弘前大学出版から出ている
青森県を生きる若者たち』、『東京へ出る若者たち』がある。


社会学の概念で、ライフコースなるものがあるらしい。


人がどういう人生を生きようと望み、実際にどう生きたか
思うようにならないとき、いかに目標や言動の修正を図ったり
上手くいかないことそのものに、どんな理由を与え、納得しようとするのか…

そして、そのライフコースの「思い描き」と
社会情勢や、生まれ(地方出身か都市出身か)が、どう影響しているのかなどを
論じる。

 

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私は、大学時代、社会調査論研究室というとこにいて
そこではまさに、人のライフコースの問題を
「住居、住むという行為」から調査する作業をしていました。


県内のニュータウンに住む人々や、都市型のマンションに住む人々
あるいは東京下町の人々などの「ライフ」を、ある「コースの思い描き」と
重ねながら調査していた。

その後、大学を卒業して
私がいったん東京に住んでいたとき、そのときお世話になった先生方のNPOにも
入ることになり
より具体的に、その調査を進めるようになりました。

 

そこで気になるのが

ライフ(その人の命)と、コース(どう生きようとしているか)が

日本人は、かなり密接に結びついているのだなあ、ということ。

 

東京では(地方でもそうだが)タワーマンションの開発が
着々と進んでおり
そのタワーマンションは単体の開発ではなく、周辺の老朽住宅の解体という「周辺再開発」という
面として行われる。

そうすると、ある再開発(高層化、立体化)は、もともとそこに住んでいた人々の
「追い出し(移住」を前提にするわけですが
移住させられる側には
まさに、彼ら自身の「ライフ」が存在していたわけであり
それは彼ら自身の「コース」と関係していることなわけです…。

 

すいません、ちと分かりにくいですね。
「どこに、どうやって、住む」、という行為が

まさにライフとコースの接合の場に思えてくるのです。

 

 

例えば、東京郊外や、東京東部の江戸川や葛飾には
もともと地方出身の世代が
東京に出てきて、少ない給料でローンを組みながら
東京の端っこに小さな家を建てる、的な
ライフ・コースが存在していたわけだし

もっと下町にいけば
全く儲かってないけど、代々続く和菓子屋で、ココの土地と建物だけは
守っていかなくてはならない
という類のライフ・コースが存在する。


そうした、いわば個人的なライフやコースは
再開発行政、再開発ディベロッパーの前では、いかにも歯が立たないので
そこで「住民運動」というマスな闘争体が生まれる。

我々のNPOは、そうした一連の住むこと、ライフコース、住民運動
法的、理論的ツールであり
行政の都市計画ではなく、市民に根ざした「まちづくり」を支援せねばならない
という少々、左翼的に力が入った活動をしていた。

そして、私自身は、その会合でほとんど唯一の若手だったので
ゆくゆく、高齢化していくNPOの専従事務職長を勤めて欲しいと言われていた。

 

ところが、その時代
私は私で、私なりの「ライフ」の問題が勃発していた。

大阪での仕事をやめ、仙台の実家にいるのもキツくなった頃
私は身「ライフ」1つで、何の「コース」の思い描き無く
東京に出てきた。


最初は五反田の1.5畳の違法シェアハウスで、次は巣鴨の4畳の合法シェアハウスで
在宅ライターの仕事や、このNPOから時おり降ってくる仕事で
ギリギリ食っていた。
(その後、別なNPOの正規社員になってからは、国立→錦糸町と、普通のアパートに移った)

 

結局、そうなったのは東京の家賃が高い云々ではなく
大阪でのあまりに強烈な暮らしから(あまりにブラック企業な)

根本的にひどく疲れ切っていたのであり
それどころか
一時的な疲労、鬱の問題ではなく
もっと根本的に、何かのっぴきならぬところで、自分が社会に着地していないことを
自覚していた時期でした。

そこで、生活費を極限まで下げた上で
在宅ワークや、NPOなどという、一般社会と異なるモードのなかで
どうにか「ライフ」だけは維持しようと考えていた。

そうしてるうちに、大学院に通い始めた事は
私にとってのライフとコースを接続しようと言う
一応の試みだったと言えるかもしれない。
(結果的に、その接続に失敗し、人文学で「食う」ことは私のコースにはならなかった)


結句、私が
広汎な発達障害の疑いだの、アスペルガーだの、ADHDだの
実際に診断を受けて、すべてを振り切るように大阪に吹っ飛んでいくのは
この直後ではあるけども
大学とも都内で関わったNPOとも次々に関係を切るなかで
私は「ライフコース」について、こう思っていた。

なぜ、自分が
東京の再開発に怯える人たちの支援活動をしなくてはならなかったのか?
私は、彼らの、いま現在の「ライフ」については
最大限に守られるべきだし、共感している。

しかし、彼らの「コース」について
私は共感するべき理由を持たない。

彼らがどのような「ライフコース」を生きようと頑張ってきて
それが再開発により阻まれようとしているとしても
どうも私に、そのことの痛みのようなものが無かった。

自分にとってはライフを正当化し、流し込める「コース」が
どこにも存在しないことこそが問題で
なぜ、中高年世代の「ライフコース」を、違法シェアハウスやら、心療内科通いの自分が
擁護する必要があろうか…と思っていた。

挙げ句、自分にとってのライフコースは
学者としてのパスポートを掴む方向ではなく
アスペルガーADHD、鬱気質」な現状を自覚し
そのなかで
破綻の無い人生を、淡々と歩むこと、それこそが発見されつつあるコースだというのに。

 

他人のライフとコースの接続のズレを心配する以前に

私の「ライフ」は、どのコースにも繋がっていなかったのであり

密かに掴まれた「コース」こそが、精神障害者手帳3級であったことを

誰にも説明できず、1人、閉じこもるようになった。

 


丁度その頃、社会的には東日本大震災が起こったり
だいたい私と同い年ぐらいの人たちが、結婚しはじめたり、子どもを生み始めたりしていたが
そういう人々の喜怒哀楽にも、私は凄まじく鈍感と言うか
あえて距離をとるようになっていた。

つまるところ、彼らが、どのようなライフコースを思い描き
それが実現したり、しなかったりする、という
トータルの総体に対して
関心や共感が持てなかったのだろう。

私は社会一般の、同世代の人々が考えることに

ますますリアリティを失っていった。

彼ら、彼女らのライフとコースは、私のリアリティとかけ離れていた。


他方では私より少し年長に
ロスジェネ世代の存在があった。
別にすべてを就職氷河期のせいにするわけではないが
彼ら、彼女らのなかには
未だ社会のなかに足場を掴めず、結果的に、NPOや社会運動、学者崩れみたいな方向に流れてきた人もおり
「社会の一般性」の外側に安住する意味で、私の苦しい時期の友人となった。

ところが、よくよく話を聞いて見ると
彼らは「思い描いていたライフコース」が「無かった」ことに
いつまでも怒っているのであり
その思い描きの発想そのものは
先行する世代や、結婚し子どもを育てている人たちと何ら変わることがないらしいと
知るようになった。

確かに思い切り、相対化してしまえば
そもそも、なぜ、そのようなライフコースを「思い描こうとするのか」
それしかない、と思うから
勝手にキツくなったり、社会を恨み続けるのではないのか?
と言えるのかもしれないが
それが「できない」こと自体が、彼ら彼女らの苦しみなのだと知り
ますます分からなくなってきた。

 

要するに彼ら彼女もまた

ライフと、コースが、上手く接続されないことを問題にしていたのだ。


そして地方移住を検討する時期に入り
そのなかで「青森」をチョイスして移住した。

 

地方に来ると、そもそも、私が東京や大阪で、感じたり、見聞きしてきた
都会に住む若者たちのライフコースの思い描きと不可能とか。
あるいは、付き合いの中心だった大卒、院卒の若者たちの発想と

津軽の人々の、ライフコースの発想がえらく異なることを実感し
驚いている次第です。


都会の人々が描いていたコースが、逆に非現実的なものに思えることもあれば
津軽の若者たちのコースが
ずいぶんと厳しいモノに感じられたりもするのですが。

 

いずれにしても不思議なのは
人生は「ライフ」のみによって存立することは難しく
それはたいてい、何がしかの「コース」とセットになっているらしい
という話です。

これは私たちにとって幸せな事なのか、不幸な事なのか
よくわかりませんけど
どうなんでしょうか。

「コース」があろうがなかろうが
「ライフ」は、どこの国、どの時代の人にも、必ず存在する。

とすれば「コース」を用意できない社会は不幸なのか、ダメなのでしょうか??
「コース」は多様であれば良いのでしょうか。
その場合、自分がどんな「ライフ・コース」を生きようとしているのかを
他人に説明しなければならないのだろうか?

ライフが大切であることに万人が合意するとして

コースも同じように、尊重されているのでしょうか?

特定のコースばかりが尊重されたり、奨励されたり、してはおらぬかい?

そして
コースというのは、思想や哲学とは異なる、もっと具体的な何か、社会や人との関係であるらしいということ。

だいたい、ここら辺まで分かってきた。

 

政治の話などについて過去、書いたけど

左派の衰退っていうのは、思想や哲学を「コース」として提示できなかった

提示するのが難しいっていう事情ともまた

重なって参りますわね。